バルキーノって何?という方はまずはこちらから
水中カメラを付けて川を泳がせるとこんな光景も見られました

バルキーノ「ガットマローネ号」に引き続く艇として、バルキーノジャパンの標準艇を改良し、新たな艇を作りました。これまでは瀬戸内海に面した海域を中心とした場所でセイゴ釣りなどを楽しんできたのですが、今回は外洋の日向灘に面した場所で航行させるため、波やうねりに強いよう魔改造を施し、「アマビエ丸」と名付けました。アマビエの考察、改造、航行性能についてご紹介します。
アマビエ丸と命名

新型コロナウイルス感染症の世界的な拡大の中でにわかに注目された妖怪「アマビエ」。長い髪、くちばし、大きな鱗に覆われた体と、非常に特徴的な容姿をした予言獣です。弘化3年(1846年)に熊本県の海に現れ、作柄と疫病の発生を予言し、自らの絵を写して人々に見せるよう、地元の役人に告げたとされています。
このアマビエが新型コロナウイルス感染症の拡大と共に注目されたことから、今回のバルキーノは「アマビエ丸」と命名しました。本来は5月なのでこいのぼりを描く予定でしたが、鱗も似ていることだし、急遽アマビエに変更しました。
アマビエの記録もアマビコの記録も熊本、宮崎県には残っていない

厚労省も感染拡大の呼びかけのキャラクターに使うほどのアマビエ。現在流布しているアマビエは京大付属図書館所蔵の瓦版が基となっています。ただ、アマビエが出現したという話は、地元の熊本県では伝わっていません。
アマビエは日向などに現れた尼彦入道(アマビコ)がモデルではないかという説もありますが、宮崎県教委によると、同県内にはアマビコの記録はありません。同県内に残っている予言獣の記録は、第二次大戦前に椎葉村に現れた「くだん」のみ。くだんとは「件」と描き、顔が人間、体が牛の妖怪だったと言われています。
肥前の姫魚

アマビエの出現の27年ほど前の文政2年(1819年)に、熊本県の隣県長崎県に「姫魚」という予言獣が現れた記録があります。
姫魚は長崎県の平戸に現れ、竜宮の勅命を受けたといい、豊作とコレラの流行を予言し、自らの絵を描き写して疫病を回避するよう告げ、海中に没したとされます。この行動はアマビエにそっくりです。
見た目も似て無くはありません。体長5メートル弱、胴回り2メートル弱というのはいいとして、最大の特徴はロングヘア。長さは一丈六尺(約5メートル)だったと伝えられています。この長い髪は、リュウグウノツカイの長く赤い腹びれや背びれを思い起こさせます。
アマビエのくちばし

アマビエや姫魚の現れた当時は、異国船が頻繁に日本に接近し、攘夷の機運が盛り上がるような時代背景でした。また1822年にコレラが九州から発生しています。鎖国中でしたがオランダとは交易があり、シーボルトなどの医師も来日していました。
こうした交流の中から、欧州のペストの流行の情報ももたらされたと思われ、そのなかにペストマスクのこともあったと考えられます。ペストマスクはハーブを詰めたサイチョウのくちばしのような形をしたマスクです。もしかしたら「疫病対策=くちばし」のようなイメージがアマビエのくちばしを生んだかも知れません。
もしくは、陰摩羅鬼(おんもらき)や鵺(ぬえ)のようなくちばしのある妖怪、または九州ではどこにでも伝説がある河童のくちばしが、くっついたのかもしれません。
人の不安と願いから生まれた神様

水木しげるが点描で描いた神々しいまでに美しいアマビエは、妖怪と言うより神々の一種のようです。医療が未発達な江戸時代、なすすべも無い疫病に対して護符を持ち歩いて避けようとする風習は一般的でした。いち早く近代化した佐賀藩などは早くから領内に種痘を広めていました。種痘への抵抗を取り除くために護符を利用して種痘の有効性を解き、槍を持ち牛に乗った童子の紙を描いて配布した記録があります。
助かりたい、助けたいという気持ちからアマビエが生まれ、長い時を経て再び現代によみがえったのかもしれません。
次の記事はこちら
アマビエ丸と共に美しい日向灘の海もお楽しみください↓
HOMEへ